オリジナルプリントTシャツの歴史

Tシャツはもともと、海兵たちの下着

海軍

Tシャツの起源は、第一次世界大戦中のアメリカ海軍船内にて、船員たちの下着として採用されたことから始まるといわれています。
それまで、分厚いウールの制服に身を包んでいた彼らにとって、軽くて動きやすく、洗濯してもすぐに乾くTシャツは、
まさに画期的なものでした。
船員たちは必然的に、重いウールの制服を脱ぎ、Tシャツ姿で業務に勤しむようになったそうです。

インナーからアウターとしてのTシャツへ

船員たちは、退役し陸に上がった後も、Tシャツを纏い町中を闊歩し始めました。
戦火のヒーローである彼らのそのスタイルに人々は歓喜し羨望のまなざしを向けました。
1930年頃には、当時の大手下着メーカーが、世界初の一般ユーザー向けのTシャツを”コブ・シャツ(水兵シャツ)”
と名付け販売をし始めました。
当時の写真を探してみると、びっくりするほどTシャツ姿の写真が少ないのが印象的です。
MBLなどプロスポーツ選手の写真を探しても、インナーのTシャツの首元すら見せているものは見当たらないほどです。
リバーシブルTシャツが生まれたのもこの頃(1930年代の終わり頃だったといわれています。)

リバーシブルTャツ

▲リバーシブルTシャツ

1940年には、アメリカ陸軍で、所属する基地名やインシグニアをチームロゴとしてプリントしたTシャツが誕生しました。
実はそれまでは無地が主流なのです。 だってインナーでしょ?というのがその理由。
あっても、洗濯時に誰のものか判別するためのランドリーネームがついているくらいでした。

労働者

時は流れ、第二次世界大戦後の1950年中頃、当時まだ下着として認識が強かったTシャツを、復員学生や労働者たちは、
アウターとして着用しました。 それは、ジーンズと共にブルーワーカーたちの象徴となり、ブームを生み出します。
そして、ジェームス・ディーンと、マーロン・ブランドが銀幕の中で見せたTシャツ・ジーンズ姿が、
全米で既存の価値観へ反抗し挑戦する若者たちのシンボルへとなっていったのです。

コミュニケーションツールとしてのTシャツ

市民権を得始めたTシャツは、1960年代に入るとシルクスクリーンプリントの技術の発達と共に新たなステージを迎えます。
それは、時に企業のロゴなどをプリントした広告メディアであり、時にアイデンティティを主張するキャンバスであり、
単なる洋服としての価値を超越したコミュニケーションツールとしての姿でした。

愛と平和を叫ぶヒッピーカルチャーや反体制のロック・パンクシーン、当時の最先端現代アートであったポップアートなど、
様々なカウンターカルチャーの象徴として、一般層からマイノリティに至るまで幅広く浸透していきます。
「アメリカの上半身を解放した衣類」1970年代、とあるTシャツの広告にそんな言葉がありました。
Tシャツがいかに当時の人々から愛されていたかが分かりますね。

個のアイデンティティを表現するツールとしてのTシャツ

1998年、Tシャツは、新たな局面を迎えます。
PCを使い自分でTシャツをデザインすることのできるキットが開発されたのです。
3000種類の既存のデザインと2万種類もの画像転写シートをセットにしたプロ顔負けのTシャツが作成できるこのキットは、
一般ユーザーの心を見事に掴みました
かつての海兵たちの下着として生まれ、50年代には、反骨精神の象徴として受け入れられ、いつしかコミュニケーションツール
にまで進化したTシャツ。それはいつしか、一人ひとりの個のアイデンティティを表現するツールにまで成長を遂げたのです。

多様性のある表現媒体としてのTシャツ

そして現在。
音楽フェスや映画などの商業的なプロモーション媒体から、大学や高校の文化祭などにおけるプライベートなユニフォームまで、
Tシャツは、営利非営利を問わず、大小様々なコミュニティーにおける表現媒体となりつつあります。

ロックフェスティバル

常にシンプルでカジュアル、それでいてメッセージ性も強く、アイデンティティを表現できるキャンパスとしてのTシャツ。
今なお、愛され続けてやまない理由がそこにあるのではないでしょうか。

<参考文献>
「T-SHIRT Tシャツ・ブック」
著者 シャルロット・ブリュネル
発行所 アシェット婦人画報社